2013年3月29日金曜日

11.26 補習スタート


教育委員長に、「補習はしっかり組ませます」と言われてから、2週間以上たった22日、
やっと、補習の予定が届きました。

以前、9月から10月にかけて、補習がありましたが、
予定表の第1弾は、9.13の「折り返し電話」
http://pandemonium12.blogspot.jp/2013/03/913_4467.htmlで書いた、
各教員の都合を全く考えていない、「とりあえず作りましたバージョン」

これを受けて、第2部の新バージョンが出ましたが、
1か月登校できなかった状態で、主要5教科2時限ずつ。
「1か月の授業を1教科2時限でやってしまうなんて、どんなミラクル授業ですか」
と、教頭に聞きました。

教頭「これで、終わりではない、Part2も考えています。
本人の様子を見ながらやっていきます。」

しかし実際は、10時限を8時限で、切り上げ、
この状態で中間試験になり、結果は当然、惨憺たるもの。

今回の補習計画には、発行元に教育委員会の名前も入っており、
11月26日から、12月21日まで、計43時限。
教育委員長が組ませてくださっただけあって、内容が充実している。
これを見て、安心しました。

ところが・・・補習のスタート時間が4時40分。
4時20分に下校をして、1度帰って4時40分に到着するなど、まるで不可能。
「終了時間に迎えに来て下さい」と書いてありましたが、
自転車登校です。
時間的に無理なので、担任と、他の先生にも話しました。

それと、大問題。
教科担任に、「何の事だかわかりません」の、あの教師が入っているのです。
息子は、激しく拒否反応を示しました。
私も同様です。

何故、「あの時は、何もできなくてごめん」の一言が言えないか。
教員である以前に、人として、どうなんだろう。
この教師の補習は、開始4日目の1時限目に入っていました。

26日と27日はなんとか頑張ってみましたが、それでも学校到着は5時を過ぎてしまう。
それと、「何の事だか」の人と、何のわだかまりがなく、補習ができるとも思えない。

その改善を、担任と他の1年生の先生に話しました。
他の先生は、「確かに無理ですよね、時間に間に合うように慌てて帰って、
事故にでも合ったら・・・時間の件、教頭に伝えます」

それをまた学校側は拒否。
たかが、20分ずらすという配慮が何故できないのだろう。

「どこでもドアがないと無理じゃん」と息子。

翌28日、ある教科の補習がありました。
前回9月の補習では、
「おかあさんも、補習に入って実験の手伝いをしてください」と言っていた教師なので、
補習に入ろうとした所、私の参観を断固拒否。

ここまで、拒まれると、「見られて困る事をするのか」と思ってしまいます。
前回の補習でも、各教科、一切口出しはしていません。
補習中は、後部の席で、末っ子の宿題と自由勉強を見ているだけです。

「どうぞ、好きに入ってくださいね」というのは、
信頼できる先生方なので、逆に入らなくても心配がないというこの矛盾。

この日、この教員が固く拒否をするので、職員室へ。
この教師に対して、息子は何のわだかまりもなかったのに、
これだけ拒否をされて、逆に不信感を持ってしまいました。

教頭に、「何の事かわかりません」の教師の話をすると、
「××先生は、もうそんな前の事、憶えてないと言ってますから」
事情聴取では憶えていたのに・・・ですか・・・?
そんな事あるわけがない。

スタート時間の事も、「検討中」
検討してると言いながら、うやむやにするのは、毎度の事。

ここでも、多少揉めましたが、教頭は「入りたいなら、どうぞ」と。

そして、補習スタートかと思いきや、その教員は更に拒否。
何なのでしょう、いちいちこのドタバタは。

「教頭が入って良いって言ってるのに、何で拒否するんですか?」
「お母さんが入りたいって言っただけで、許可されたわけじゃないじゃないですか」
「???何か、私がいたらまずい授業?」
「上から、入れるなって言われてますから」
「今、良いって言われたでしょ?」
「良いとは言ってません」
「親をシャットアウトする、見られちゃ困る補習なんて出せないけど」
「じゃ、俺はできないですから」

そしてまた、「校長に直接言ってくれ」と言われたので、
「こちらは、さんざん校長と話すって言ってるのに、会わないのは校長ですよ?
だったら、話すように言ってくださいな」
「それは、俺は言えません」
なんなんだ・・・。

その後、また職員室に。
教頭は、「今、言っときますから、次の教科を先にやっててください」
これが、既に5時40分。

この日、息子は、PTSDの第1回目の治療で学校を休んでいます。
くたくたの状態で補習の為に登校した。
その事情もわかっているはずです。

次の教科は、英語でしたが、英語の先生は、
いきなり振られても、この時間は教科会で、留守。

他の英語の先生がみえたのが、6時半。
息子も私もこのドタバタ劇に疲れてしまい、
「明日から仕切り直しましょう」という話になりました。
結局、無駄足。

この翌日は、「何の事ですか」の教師の補習だったのですが、
学校から何の連絡も無いので欠席。
そして、また委員長先生の元へ、行くハメに。

学校が、何の対応もしない。
教育委員長の所に行く。
委員長から電話が入る。
学校、渋々対応。
このスパイラル。


委員長が、また学校へ連絡を入れてくれたのでしょう。
翌日、担任から、「新しい補習計画が出たようです」と聞きました。
「時間も5時からになったようです。」
それと、「××先生(とぼけている教師)は、補習から降ろされたようですが、
よくわからないので、学校からの連絡を待ってください」との事。

降ろす必要はなかったと思いますが。
ただ「たったの一言」なのに、どうにもこの事実から逃げたい様子。

相変わらず、何の連絡もない。
補習があるのかないのかもわからないまま、何日か過ぎていきます。

現場の教員は「何故補習をするのか」という説明すら受けておらず、
各教員の都合も聞かずに、名前を埋める形で出ている計画表なので、
全員の予定が立たない日は、無駄足になります。
それを学校管理職が采配せずに、現場に丸投げするので、更にややこしい事に。

現場の教員たちは、「叩き台すら出さないで、勝手に名前を入れられても・・」と困惑。
この状態で43時限もまともに進行するのだろうか・・・
と一部の先生方と話していたのですが、
案の定、3日目から躓く始末。

普通なら、父兄と学校が相談してやるものが、
学校が何の対応もしないので、いちいちものが滞る。
この後、教育長にも連絡をすると、「校長さんに電話させます」と。
しかし、毎回、校長は無視。
そして、また教育委員会に連絡をすると、「まだ、連絡がいかんかね・・・」と。

この「補習」の件に関する「連絡書」とやらが、
11.30開始の「補習計画(最新版)」というのと一緒に、
「言い訳」「責任転嫁」の文章と共に、郵便で届いたのが、12月6日です。
こちらは、補習があるかないかすらわからない状態だったのに、
文書では、息子が勝手に「休んだ」という事になっています。

この体たらく。
補習の予定表は、教育委員会に差し戻しました。

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